始業時間が近づいてくると各機関車のパン上げ。

記憶が定かではないのですが、この位置までは内臓バッテリーか何かでゆるゆると動いてきた気が・・・。

工場側?からも一番列車がやってきました。

いよいよお仕事開始!
次々と石炭を満載した列車が走り始めました。
ピストン輸送って感じで、ダイヤ知らなくてもそこそこ撮影できたと思います。
この専用線は右側通行でした。ネガが逆さな訳ではないです。
周りは春採の住宅街。よくもまあそんな中をこんな鉄道が走っていたものかと。
吉田戦車のマンガに出てくる「ぷりぷり新幹線めまい」(笑)の様な平べったい車両のせいか、どうも縦位置ばっかりの写真しか・・・・(汗)
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- 2013/02/27(水) 19:16:32|
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過去にも数枚エントリーしてますが、「太平洋炭鉱専用線」の思い出を。
札幌からの夜行「まりも」に乗り、夜明けの釧路で下車して現地へと向かいました。
操業前に行けば構内撮影の許可がもらえたんで。

現地に到着すると真っ先に目に入ってくるのがこの光景。
なんとも写欲をそそる電機たちがお迎えしてくれました。

もうじきこの電機たちが動き出すと思うとワクワク感を抑える事ができなかったのを思い出します。

車両だけでなく、構内もお宝の山。
こんな急勾配の線路は何に使用していたのでしょうか?
後日、TDLでビッグサンダーマウンテンに乗車した時に、真っ先に思い出したのがここの風景でした(笑)
末期は大型の電機に交替したとはいえ、80年台後半まで現存していたというのが今となっては信じられませんが。
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- 2013/02/24(日) 19:35:59|
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スカパーのヒストリーチャンネルで蒸機の番組がやっていました。
現役時代の3橋・4橋・5橋・8橋や川口発車のお宝モノのシーンが続々!
せめてあと5年早く生まれていれば・・・・。

思えば只見線に入り浸る様になったのも蒸機運行あってこそ。
それまでは景色はキレイだけどDCしか走ってないし・・・って機関車オタの自分は会津へ行ってもDD51客レやC57を追いかけ磐越西線、古くは日中線ばかりで、只見線・会津線は猫またぎでした・・・。
その中でも究極が冬の蒸機運行。
コレを撮りに行ったのがきっかけで只見線にハマってしまいました。
もう一度走ってくれないものですかね?
只見線ではモノクロは撮ってないかと思いきや、ネガ探したら最初の頃は撮っていました!
やっぱ蒸機はモノクロが似合う気もします。
とはいえ、秋の運行はさすがにカラーだと思いますので、デジカメでしょうね。
夏蒸機は数回しか行った事がないですが、銀塩モノクロで撮影に出かけてみるかな?
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- 2013/02/13(水) 19:49:17|
- 蒸気機関車
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大河ドラマ「八重の桜」が昨日の放送から会津が悲運へと・・・。
終了後から会津&新撰組フリークの仲間同士でメールで盛り上がっちゃいました。
これから戊辰戦争が終わるまでは毎回悲しい話ばっかりなんでしょうね・・・。
ちなみに「しんせんぐみ」。「新選組」「新撰組」どちらも使用していたみたいです。
当時は漢字が違っても意味がわかれば・・・っていい加減な部分もあったみたいです。
自分は普段は「新撰組」を使ってます。会津藩の書物はこちらだったそうなので。

自分は高校生の時に司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んで以来の歳三信者。
当時、図々しくも生家におしかけて歳三の植えたとされる矢竹を見せていただいたりしているうちに京都→会津→江差→函館と追っかけてしまいました。
「土方歳三最期の地」。ネガが退色しており、ヒドイ写真ですみません。
自分が訪問した80年3月当時は写真の様なとんでもない場所にありました。道路の真ん中のグリーンベルト上・・・。
その後、移設されて公園内に一本木関門(レプリカ?)と共にあるそうです。
でも、最期の地を移してしまっていいものやら(笑)
現在は「最期」になっているそうですが、写真見ると「最後」になってますね。
ナイショの話ですが、「燃えよ剣」での歳三の恋人が「お雪」。
んでウチのカミさんの名前が・・・。べ・別に、だからヨメに貰った訳では・・・。意識はしました(笑)
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- 2013/02/11(月) 19:17:49|
- ちょいと気になった風景
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山手線でウグイス一色のラッピング電車が走っているみたいですね。
ちなみに総武線では「チーバ君」のラッピング電車が走ってます。
実家の最寄り駅は田端なんで山手線と京浜東北線は毎日の様に乗った路線なんですが、なぜか写真というとあまり・・・。
金太郎飴の様に同じ電車ばかりやってくるんで興味がなかった事も事実ですが・・・。

おそらくATC車が増えてきて、そろそろ低窓もいなくなっちゃうかな?と思って撮りに行ったんだと思います。

ガキ鉄写真なんで、流したはいいがしっかりと止まってませんね・・・。
でも今さら撮りなおしもきかない車両ですからUPする事にします。すみません。

当時は3箇所あった山手線の踏切ですが、現在ではココだけになっているみたいですね。
今も風景は変わっていなさそう(笑)
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- 2013/02/10(日) 19:25:05|
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リンクさせていただいている某氏が最近ご夫婦で三厩へ出かけたとの事で、エントリーされておりコメント入れところ、「現在は『みんまや駅』だがかつては『みうまや駅』だったらしい。その頃の駅名票撮っていないか?」との事。
わたしゃドラえもんじゃないし、そうそう都合よくは・・・とネガ探したら撮ってました!(笑)

何といっても「外道」な鉄なんで、駅名票・愛称サボ・行先サボは撮れる機会があれば極力撮っており、かなりのショットがあります。
まさか30年経ってお役にたつ時がこようとは・・・(笑)
たしかに現在と違い「みうまや駅」ですね。
過去のエントリーで「あさひがわ→あさひかわ」ってのがありますが、結構駅名って変わっているのかな?
余談ですが、「尾久駅」。駅名は「おく」ですが、自分ら地元の人間は「おぐ」って言います。「ぐ」にアクセントがあります。

ついでにサボ。こちらも「MIUMAYA」ですね。
当時は自分の大好きなキハ22が走っていました。
カモシカの様に長くて細いワタクシめの足も写ってますね(笑)

折り返しの発車時刻まで休憩するキハ22達。
願わくばもう一度この車両で訪問してみたかったです。
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- 2013/02/09(土) 20:35:14|
- 70~80’s
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本日は公休日。朝から床屋に行く事に。
大雪予報はすっかり外れ、雨模様でした。
ところがスッキリして床屋を出ると外は大粒の雪で路面も積もりはじめている。
ちょっと色気が出て出撃してしまったのが運のツキでした。
13:30頃に小見川に到着すると横殴りの雨と風・・・。しかも真っ暗だし。
とても撮影には適しているとは思えませんでしたが、逆に日曜の喧騒がウソの様だったのは唯一の救いですね。

一番人気のお立ち台で撮ろうと思ったのですが、トラロープが線路際に貼られており断念・・・。
日曜見た時もこの踏切までが煙吐いていて、そこから絶気だったのですが、ロープの無い所で撮る事に。
やはりお立ち台までが爆煙でした・・・・。
気を取り直して追っかけましたが、途中で銚子地方に津波注意報が!
ケータイだけでなく、地域の防災無線も高い所に避難してと言っているし。
利根川の水面ギリギリの所を国道は走っているので、かなり焦りました。

今度の場所は強風に煙が流され・・・。
本運転の連休はどんな走りを見せてくれるのでしょうか?
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- 2013/02/06(水) 18:57:51|
- 蒸気機関車
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朝起きて入院している家族の見舞いに行こうとしたらインフルエンザ流行の為に立入禁止との事・・・。
行く場所も無くなってしまったので「おいでよ銚子号」の試運転に出かける事にしました。
C6120もまだ見た事がなかったし、家から車で1時間ちょっとで行ける場所を走るんで、機会があればとは思っていました。
昨年10月の只見蒸機以来の久々の鉄です。ずいぶんと時間が開いてしまいました。
家を11時前に出発、佐原か小見川付近でDE10が先頭の「おいでよ佐原号」をロケハンしつつ撮ろうと思っていったところ・・・。
各踏切ごとに50~100名ずつくらいいる大盛況っぷり!
勾配もなく、景色も平凡だし試運転なんでそんなにいないだろうとタカくくってました。

後ろにDE10がぶら下がっているので、目立たない様に広角で撮ってみました。
やはり客レは旅客機が似合いますね。
あと機関車の大きさ。只見のC11もいいけど、大型テンダー機を見ちゃうとやはりデカい方のが(笑)
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- 2013/02/03(日) 21:53:07|
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多分、運用を知らずに撮りに行っていたと思うのですが・・・。

突如、カーブの向こうから人気者の「モ510形」がやってきました!
コイツも最初に見た時はスカーレット一色だったのですが、撮らないうちにこの原色に戻されてしまいました。
こっちの方が断然カッコいいし、文句はないのですが、撮れるうちに撮っておかないとダメですね・・・。
屋根が雨に打たれて黒ずんでますが、コレはコレで無骨に見えていいかな?と思います。
しかしこの電車。こんな山奥も走れば岐阜市内の併用軌道を車をかきわけながらゴロゴロと走っていたのだから、なんとも不思議でした。
調べてみると2001年に定期運用を離脱したものの、なんと2005年の路線廃止までイベント用に生き残っていたんですね。
大正生まれのご老体でしたが随分と頑張ってくれたものです。ご苦労様でした。
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- 2013/02/02(土) 19:38:08|
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