鉄たまの外道なお話部屋   

試練の地、再訪―3

雫石から鶯宿温泉まではショートカット道路ができていましたが、当時のバスルートで辿る事に。
バスルートでも立派に高規格化されており、当時が思い出せない区間もありました。本当に別ルートの道が必要だったのかな?

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10分ほどで想い出の地「鶯宿温泉グラウンド」へ到着。
同行者は駐車するやいなや飛び出して行きました(笑)
右後ろに見える立派なホテル群は当時はありませんでしたね。
このグラウンド真ん中に監視用の櫓が組まれ、監督がそこから指示を出してました。
練習で一番キツかったのがボールをパスしながら100m全力ダッシュするランニングパス。
コイツを延々と10往復くらいする訳です。
折り返しの間にヒザに手を当てていると「立って息しろ!」って怒られるし・・・。
当時は「水飲むとバテる」って教えの時代でしたから、ノドの奥までカラカラで泥まみれになるし・・・。

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グラウンドから宿泊地の温泉街までは約2kmくらい。
往復時はスパイクやらボールやら持ってここを走る訳です。コレは練習のメニューではなく単なる移動手段でしたね(笑)
一年生はこの直線の電柱の数を数えさせられて「あと○○本です!」、電柱間のセンターラインの本数数えて「あと○○本です!」って報告しながら走る訳です(笑)
体力のある上級生と違い、ついて行くのがやっとだったんでホント地獄でした(泣)
フツーに走るのではなく、最後尾が全員追い抜いてを繰り返し、最前列になった時に一番息が上がって死んでる時に数をかぞえる訳です。最後尾が近づいてくると泣きたくなりました・・・。

それと朝4時出発でここの道路をずっとランニングさせられました。
監督の自転車が先導し、気分で折り返してました。だから自転車が反転するとホッとしたもんです(笑)
だいたいは5kmくらい走ると折り返してくれたのですが、荷物チェックであってはいけないモノが見つかったヤツがいた時は監督大激怒!
そうなると団体競技ですから連帯責任。全員に地獄のシゴキが待っている訳です・・・。
翌日はどこまで行っても自転車が反転しない・・・「このまま雫石駅か?」なんてみんなでボヤきながら走りました。

この地獄道も両側にかなりの数の新しいホテルができていました。たまげました。

鶯宿温泉街

宿泊地となっていた「鶯宿温泉」、山の中のひなびた温泉でした。
温泉街まで来ると当時とあまり変わっていなかった感じです。

当時の練習メニューですが
4:00 起床→ランニング10km
6:00 朝食
7:00~11:00 AM練習
12:00 宿に戻って入浴・昼食・休憩
15:00~18:00 PM練習
19:00 夕食
21:00 就寝

てな感じでした。多分・・・。とにかく走りっぱなしの10日間でした・・・(泣)
その上、土曜の夜は毎年「盆踊り」があり、疲れて早く寝たいのに全員踊りに参加させられたしなぁ・・・。

20120708214204c87.jpg

一年生の時に宿舎となった宿です。
監督が間違えて予約した(笑)との事で、当時は温泉街でもランクの高い旅館でした。

20120708214148151.jpg

廃墟マニアの写真ではありません(笑)
三年生の時に宿舎となった宿ですが、残念ながら廃業していました・・・・。
3Fの角部屋が確か自分の部屋ではなかったかな?と・・・。
隣のシャッター閉まってる場所あたりにカラオケスナックがあって、深夜まで音ダダ漏れ・・・。
うるさくて眠れない時もありました。

ちなみに二年生の時は宿がどこも満員で、ツテでとあるお方の別荘が宿舎になりました。
この時は色々な意味で最悪だったかな?善意で提供してくれたオーナーさんには申し訳ないですが。
隣のゴルフ場からヘタクソが打ったボールが網突き破って風呂に飛び込んできて、一人死にかけたし(笑)

縦軸にAM・PM、横軸に日付が入った表を一年生が作り、壁に貼って練習が終わる度に「×」入れてってました。
中日を過ぎると帰れる希望も出てきて時間が早くなった気も(笑)


せっかくだから、かけ流しの温泉も久々に味わおうと思いましたが、日帰り入浴ができるのがどこの宿も一時間後からと言う事なので断念しました。

今度はもう少し仲間誘って温泉に泊まるか!と同行者と後ろ髪ひかれながら現地を後にしました。

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テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2012/07/08(日) 21:57:29|
  2. 旅の記録
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

おばんです。

若かりし頃の思い出の地への旅は
同じ時を共にした方と出掛けると思い出倍増なのでしょうね。

当時の体育会系ってシゴキが当たり前でスポーツ生理学って美味しいの?みたいな
雰囲気でしたよね。それでいて死人が出ないのは基礎体力があったから出来たのでしょう。
今の奴らに同じ事やったら5分持たないか訴えられますね(笑)

合宿で使った宿が閉館ってショックですよね。
営業していれば同じ部屋にもう一度、なんて感じになりますよね。
でも思うところが一杯の旅立ったんでしょうね。
何か羨ましいです。
  1. 2012/07/08(日) 23:07:45 |
  2. URL |
  3. 吾郎 #-
  4. [ 編集]

吾郎様:
おばんです。
今の子たちの方が体格も体力もあるとは思うのですが、当時は効率的な筋トレも確立されていなかったんで、とにかく精神論・根性論でしたねぇ・・・(笑)
ただ、自分たちもキツかったですが「花園常連校はもっと練習してんぞ!」ってよく言われました。
練習量はどうだかわかりませんが、ラグビーやる為に推薦で入ってきて、ちょっと休んだり手を抜けばレギュラーはずされるという立場の強豪校の生徒たちは精神論・根性論の面ではずっと高いモノがあったと思います。
やっぱスポーツの世界は今も昔もキビシイす・・・。
  1. 2012/07/10(火) 21:25:14 |
  2. URL |
  3. 鉄たま #LezRqYSM
  4. [ 編集]

いやはや、まだグラウンドがあるんですね~。しかも未だに土のグラウンド・・・。泣けてきます。私は北茨木高校だか水戸農との試合でタックルされ顔面から膝まで血だらけになってしまったことが今でも強烈に覚えています。そして顔はガーゼ、膝は血がたまり、とても練習できる状態じゃなかったのに、おっかなくて「休みたい」って言えなかったですねぇ。今でも茨城弁聞くと、ぶるぶるってきます:)
楽しいブログありがとう。
  1. 2012/07/23(月) 03:08:57 |
  2. URL |
  3. とほほ #-
  4. [ 編集]

とほほ様:
おばんです。
コメントくれた時間見ると海外すか?大変な仕事だね。
グラウンドはあったけど、少年野球真っ盛りでした。
当時に比べるとザラザラ感はかなり解消されていた感じがしたよ。
モモとかヒザとかビフテキだらけで夜はみんなでパフパフかけて傷口乾かしたものな(笑)
こちらではちょっと書けない事実も目撃してしまったので、その話は一緒に飲んだ時にでも。
日本に帰ってきた時は連絡下さい。
  1. 2012/07/26(木) 22:01:43 |
  2. URL |
  3. 鉄たま #LezRqYSM
  4. [ 編集]

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